セリフを書くときに使わないように気を付けている言葉がある。強すぎる言葉の危険性。
私はこれまで、このブログで数多くの「セリフ集」を公開してきました。 男性用、女性用、そして多くの方に読んでいただいている中二病のセリフ集など、ジャンルは多岐にわたります。
しかし、これらのセリフを書く際、私には「これだけは絶対に使わない」と心に決めている言葉があります。
それは、「〇、す」や「〇、ね」といった、相手を直接的に傷つけ、生命を否定する強い言葉たちです。
【目次】
言葉の強い「意味」に対する考え方
私は幼い頃から、人一倍「死」というものに恐怖を感じる子供でした。 いつかは自分がいなくなってしまう。その圧倒的な不安に耐えきれず、夜中に親に泣きついたことが何度もありました。
だからこそ、誰かに向かってそうした言葉を投げかける人の心理が、私には理解できませんでした。
もちろん、創作の世界やセリフの中であれば、それを「表現」として割り切る考え方があることも知っています。それを否定するつもりはありません。しかし、言葉を扱う一人の表現者として、私はその強すぎる言葉が持つ「凶器としての側面」を看過したくないのです。
「正義」という名の魔女狩り
SNSやネットの世界で見られる誹謗中傷の中で、私が最も恐ろしいと感じるのは、「自分は正しい。だから相手をどれだけ叩いてもいい」と思い込んでいる人の存在です。
それはまるで、かつての「魔女狩り」のようです。 「あいつは悪(魔女)だから排除しなければならない。攻撃している自分こそが正義だ」
一度その集団心理が働くと、周囲の声は一切届かなくなります。 例えば「人狼ゲーム」で、自分は市民なのに、一度「人狼だ」と疑いをかけられたが最後、どんなに身の潔白を説得しても聞き入れられず、処刑に追い込まれる――あの絶望的な状況が、現実のネット社会でも起きているのです。
暴言を発する目的が自身が気持ちよくなるためになっていないか?
暴言とは言いましたが、分かりやすい例えとしてアドラー心理学の「怒り・叱る」の考え方が分かりやすいです。
アドラー心理学では、怒りは「二次感情」であると説かれています。 その背景には必ず、「不安」「落胆」「恐怖」といった「一次感情」が隠れています。
しかし、世の中には一次感情を忘れ、「怒ることそのもの」が目的になってしまっている人がいます。
例えば、部下の遅刻に対して、周囲に響き渡るような大声で怒鳴り散らす上司。 本来の目的は「仕事を円滑に進めること」のはずですが、怒鳴ることに時間を費やすのは非効率です。この時、上司の目的は「怒ることで優越感に浸る」「相手を屈服させてマウントを取る」という個人的な満足にすり替わっています。
誹謗中傷も同じです。相手を正すことが目的ではなく、叩くことで自分のストレスを解消したり、自分が優位に立ったりすることが目的になっていないでしょうか。
その暴言の目的は何でしょうか?
加害者にならないために――「10秒」の理性を
言葉は、一度放ってしまえば二度と回収することはできません。 自分が誰かを傷つける「加害者」にならないために、怒りや攻撃的な感情が湧いたときは、まず10秒だけ考えてみてください。
「今、自分は本当にこの言葉を投げる必要があるのか?」 「怒るよりも、伝えるべき別の方法があるのではないか?」
理性的な判断を挟むだけで、救われる命や守られる心が必ずあります。 私自身も、これからもセリフ集やブログを通じて言葉を届ける一人として、この自戒を胸に刻み続けたいと思います。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。










